【Go to Italy ~旅する食するイタリア~】
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3月17日はイタリアにとって記念日。
聖人の日など様々な記念日がありますが、この日は「イタリア王国」建国日。
「イタリア王国って?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
私達が知る現在のイタリアは、共和制国家の「イタリア共和国」。
その前身にあたるのが「イタリア王国」です。
1861年、3月17日にイタリア王国は誕生しました。
「イタリア王国」以前のイタリア
この「イタリア王国」は、イタリア人による初めての統一国家でした。
西ローマ帝国崩壊の5世紀から、
イタリア半島には様々な国が入り統治し分裂していました。
時代は移り変われど、
ヴィザンチン、イスラム、フランス、スペイン等の国々が
イタリア半島へ介入し、代わる代わる統治していたのです。
統一以前は「イタリア」は、地域(地方)の呼び名であり、
国としての名前ではありませんでした。
当時のイタリア地域は、
ミラノ公国、フィレンツェ共和国、モデナ公国、ヴェネツィア共和国等の
都市国家の集まりであって、半島全域が一つの国ではなかったのです。
分裂した小さな国々が集まって存在していた「地域」と言えるかもしれません。
今、耳にする街の名前(ローマ、ジェノヴァ、ピサ等)が
そのまま国(都市国家)だったというとイメージしやすいですね。
1861年に統一してから、160年も経過していませんからまだ新しい国です。
イタリアでは、今も自分はミラノ人、ジェノヴァ人というような言い方をするのは
かつての都市国家の名残りかもしれません。
当時のイタリアは、国として統一はしていませんでしたが、
ルネサンスでは芸術でリードし、食文化、地中海貿易、キリスト教世界など
様々な分野においてリードする存在でした。
イタリア統一、王国への道程は4人の存在あり
イタリア王国へなるべく19世紀後半に起きた統一運動を、
リソルジメント(Risorgimento)と言っています。
リソルジメントには統一の鍵となった4人の存在がありました。
まずは、
●サヴォイア家のサルデーニャ国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世。
(Vittorio Emanuele II)
初代イタリア国王となり、統一イタリアの象徴として
「イタリア王、ヴィットーリオ・エマヌエーレ」と呼ばれました。
(Vittorio Emanuele Re d’Italia)
そして、「イタリア統一の三傑」と言われる政治家、革命家の三人達。
●伯爵カミッロ・カヴール(Camillo Cavour)
カヴールは外交術により、大国オーストリアやフランスの干渉を抱えつつも
イタリア統一を進めた人物。初代イタリア王国の首相。
●秘密結社・炭焼党Carbonariの元党員、ジュゼッペ・マッツィーニ(Giuseppe Mazzini)
秘密結社のカルボナリに入党し革命を目指すも組織に限界を感じ、
リソルジメントの初期に、「青年イタリア」(Giovane Italia)を結成。
分裂していたイタリアの統一を目指しました。
イタリアの自由主義、国民主義の高まりの中、ミラノやジェノヴァの革命運動を指導。
●軍人ジュゼッペ・ガリバルディ(Giuseppe Garibaldi)
イタリア王国の成立に貢献した軍事家。「青年イタリア」メンバーで、当時オーストリアからの
支配・介入 を受けていたイタリアのために戦うことを決意。
ジュゼッペ・マッツィーニに会い、カルボネリにも加わりました。
後にジュゼッペの理想主義と別れ、
サヴォイア家のサルデーニャ・ピエモンテ軍に加わって激戦を重ね、
イタリア王国成立の直前1860年に、通称「赤シャツ隊」と呼ばれる千人隊を組織。
シチリアを制圧し、治めた領土をヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上したのでした。
*ルキノ・ヴィスコンティの映画「山猫」に、
赤シャツ隊やイタリア統一へ向かう当時の様子が描かれています。
紆余曲折の末、1861年に半島統一
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、第一次イタリア統一戦争での難局の中で
存命中の退位をした父カルロ・アルベルト(サルデーニャ王)より王位を継承。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、大国オーストリアと激戦を幾度も重ね、
ガリバルディ率いる軍の活躍と、ガリバルディが治めた全領土をサルデーニャ王国へ
献上するという判断も相まって、
ヴェネトとローマを除いたイタリア半島が統一されたのでした。
そして、1861年3月17日にイタリア王国が建国制定。
イタリア王国は、1946年に共和制へ移行するまで続きました。
4人の名前はイタリア国内あちこちに
さて、何度もイタリアへ行かれている方はお気づきかと思いますが、
イタリア王国統一の鍵となった4人の名前は、
イタリア国内のあちこちで見かけることができます。
さっと述べると、
Via Cavour(カヴール通り)、Via Garibaldi(ガリバルディ通り)、
Via Mazzini(マッツィーニ通り)
コンテ・ディ・カヴール Conte di Cavour(イタリアの戦艦)
ヴィットーリオ エマヌエーレ2世のガッレリア(ミラノ)、
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂(ローマ)
ポルタ・ガリバルディ(ミラノ)
ミラノのDuomo近くのガレリアの中には、イタリア王国の紋章を今も見ることができます。
旅行中にどこかで彼等の名前を見かけたら、
イタリア王国建国のお話を思い出してもらえたら幸いです。
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